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馳浩
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富山県小矢部市津沢地区の南部にあり、古刹・安居寺に近い興法寺(こうぼうじ)集落の農家の三男として生まれたが、小学3年時に石川県金沢市の親戚の養子となる。 生来の相撲好きという事で、中2の時に友人等10名を募り正式に相撲部を設立。まわし姿で町内をランニングし夢は、卯辰山相撲場の土俵に立って闘うことでもあった。しかし、高校進学と同時にレスリング部に入ったので夢は実現しなかった。また、中学時代は町の剣道場にも通っていた。 憧れの対象に影響されることが多く、相撲は地元出身の第54代横綱輪島大士、プロレスはジャイアント馬場、文学は中学時代国語担当の女性教師に影響されたことがきっかけ。 体育会の学生ではあるが、運動ばかりでなく学問に憧れを持っていたといわれる。学生時代は古典文学の全集を片端から読破し、レスリング部の合宿時には必ず一冊の古典を持参していたという。当時の専大レスリングの監督は現衆議院議員松浪健四郎(現在は専大を退職している)であった。 古典に対しての愛着が強く、海外遠征の際には『源氏物語』の原典版を持ち歩き心の支えとしていたという。受験雑誌『蛍雪時代』に古典講座の連載を持ち、それをまとめて『「古典」簡単じゃないか』という本を出版している。 自らの出身大学である専修大学のレスリング部の監督でもあり、有望な選手を全日本プロレスや健介officeに練習生として送りたいと話している。 神奈川大学で講義を受け持ったこともある。2003年に文部科学大臣政務官に就任したことにより、講義を已む無く終えている。 「プロレスとは芸術である」を持論としており、技のフォームの形に対するこだわりは深い。1990年代半ば、投げっ放しジャーマンが乱発され始めた時も「ジャーマン・スープレックスはブリッジした時のフォームが美しいのに、投げっ放しジャーマンはそれを壊している」と批判。本人は投げっ放しジャーマンを、1993年9月26日に行われた橋本真也戦での一度以外、使用することはなかった。 馳がとある試合のセコンドについていた際、激しく且つ執拗にリングを叩きながら、その試合でレフェリーをしていたタイガー服部に対して野次を飛ばしていた。すると堪忍袋の緒が切れた服部がリングサイドにいた馳に対し、トップロープを掴んだ体勢で2本目と3本目のロープの間から(現在で言う顔面ウォッシュの要領で)体重を乗せて放った蹴りが横っ面を直撃した。馳はかなり足にきていた様子でその一部始終はTV中継されている。
